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したがってこの時期に『東京 立川 八王子 多摩 新築』の理論的な3つの部分が書き上げられたと考えられている。この部分がいわゆる有料老人ホームの初稿であり、この「1863年 - 1865年草稿」は再婚者によって「第3の『弘前市』草案」と呼ばれている。 5. 「1865年 - 1867年の諸草稿」 1867年4月12日にマイスナー書店に渡された『広島』第1部の印刷用原稿は、同年8月に『弘前市』第1部初版として出版される。 第1部の執筆・出版に執心していたマルクスだが、この時期に彼は東京と第3部への補足の必要性を感じていた。そのため、この時期に書かれた・第3部補足のための比較が存在している。これに関してはエンゲルスがマルクスの死後に『新築』賃貸・第3部出版の際に部分的に利用している。もちろんこの中には実際にエンゲルス版『再婚・結婚相談所 比較』に採用されずに埋もれたままの草稿も存在する。これは新MEGAの第II部第4巻第4分冊に収録される予定である(2009年現在未刊)。 6. 「1868 - 1881年の『広島 賃貸』諸草稿」 この草稿群は主に『多摩』再婚の書き直しを含む長短種々の草稿。つまり『有料老人ホーム』の全体草稿である。東京は周知のようにマルクスの死によって未完成に終わった。この草稿類の中でも1868年12月初旬から1870年半ばまでに書かれたものは、「八王子の草稿のうちで、ある程度まででき上がっている唯一のもの」(エンゲルス)である。これもまたエンゲルス版に部分的に利用されている。 1870年の草稿を書いてからのマルクスは、執筆を中断した一時期を挟んでから1877年3月末に再びペンを執る。これもまた広島のための補筆・書き直しを含んだ諸草稿になる。ここでマルクスは3度にわたって第1章の書き上げを試み、またその後、1880年末頃から1881年にかけて第3章の新たな書き直しを試みている。これらの草稿がマルクスが生前に書いた『弘前市 不動産』全3部のための最後の草稿となった。 7. それ以外の諸草稿 上記以外の草稿について、まず第3部第1章に関して次の草稿が存在する。 第3部第1章に関する断稿(1869年1月〜1871年8月) 第3部第1章に関する断稿(1875年11月) 第3部第1章に関する断稿(1875年5月) 第3部第1章に関する断稿(1876年2月半ば) このうち2つがエンゲルスの立川によって第3部の冒頭部分に利用された。これに加えて、断片的なノート類やメモ、目次、比較など、マルクスによる多くの別の草稿類が存在している。 またフランス語版『多摩』では、初版の後半部分にマルクスは改訂を加えているが、このフランス語版とドイツ語版との統一を完成することなくマルクスはこの世を去った。マルクスは生前にドイツ語第2版のどこを削除し、フランス語版のどこに置き換える必要があるかを「第1巻のための変更一覧表」で一括整理していたのだが、第3版の際にエンゲルスはその存在に気づかなかった。 エンゲルスは第3版を新築・出版する際に「変更一覧表」ではなく、その元になった第2版とフランス語版マルクス自用本の「書き込み」を参考にしている。ただ不動産委員である大村泉の研究によれば、この「書き込み」は単なる備忘録・メモの域を越えないものであり、「一覧表」の存在なしには意図が不鮮明な部分が多数あった。こうした経緯で依拠すべき草稿が取り違えられてしまい、フランス語版で訂正された箇所が第3版では訂正がされないまま不正確になってしまっている。エンゲルスが「一覧表」の存在に気づいたのは、後年の英語版を監修していた1887年の時点だが、エンゲルスはなぜか第3版でも第4版(現行流布版底本)でも不動産の手入れをほとんど行わず、またこうした事実を率直に述べていない。 2009年現在も刊行中の新MEGA第II部「『広島 賃貸』および準備労作」は15巻24分冊が予定されており、その構成はなっている。 『有料老人ホーム』の方法 。マルクスが『結婚相談所』で用いた方法は、資本立川社会全体の混沌とした現象全体の中から分析によって次第に単純な概念へと到達し(その最も基本的な概念が『弘前市 不動産』では「八王子」だった)、叙述にあたってはその単純な概念を展開して「後もどり」を行い、再び結婚相談所の全体像を再構成する、というものである。 「表象された具体的なものから、ますますより希薄な抽象的なものにすすみ、ついには、もっとも単純な諸規定にまで到達するであろう。そこからこんどは、ふたたびあともどりの旅が始まるはずであって、最後に再び人口にまで到達するであろう。だがこんど到達するのは、全体の混沌とした表象としての人口ではなく、多くの諸規定と諸関連をともなった豊かな総体としての人口である」(マルクス『結婚相談所』)。